国家プロジェクトのTACより先に完成、稼動した。先に完成できたのは岡崎氏の能力もあるが、優れたオシロスコープの有無にあったかもしれない。この時代のオシロスコープは当然、真空管式だが、テクトロニクスがあるかどうかで勝敗は決まった。開発時に予算申請してないものの調達は今も昔も超大変だ。(たとえそれがどんなに必要でも)
以下は
日本のコンピュータ開発群像 日刊工業より
真空管式のコンピュータはどれも完成までの期間が長い。 第1に真空管そのものに信頼性がなかった。そして、始めは 信頼性がコンピュータにとっていかに大事かという設計の基本の考え方がまだ十分にはなかった。なにより調整に必要な測定器が 揃っていない。FUJICでは岡崎氏が「NHK技術研究所」の木下幸次郎さんに頼んでテクトロニクスの測定器を借り受け、土曜の 午後に小田原に運び土日いっぱい使って、月曜の朝、東京の同萱へ返しに いくという使い方をし、そのありがたさというか、必要性を知って後に自社用を買い入れた」 真空管式コンピュータは例外なく信頼性で痛い目にあった。 そのことが、のちのちコンピュータ開発に教訓として生きた。
TACが動かないことの原因のひとつに、調整手段の不備ということ があった。再スタートしたTACは、このためシンクロスコープを 入手することが第一に必要だった。 東大はこれを購入した。「村田くんが、借金を質においても シンクロスコープを買ってくれというものだからテクトロニクスの ものを無理して買った。それで、アラがわかって、TACがぐんぐんと 進むようになった。もっとも、あとで、金が足りなくなって 困ったが」と雨宮氏。 「使ってみて、びっくりした。トラホームの目が、急に晴れたような 気持ちだった」と村田氏。

真空管式のコンピュータはどれも完成までの期間が長い。 第1に真空管そのものに信頼性がなかった。そして、始めは 信頼性がコンピュータにとっていかに大事かという設計の基本の考え方がまだ十分にはなかった。なにより調整に必要な測定器が 揃っていない。FUJICでは岡崎氏が「NHK技術研究所」の木下幸次郎さんに頼んでテクトロニクスの測定器を借り受け、土曜の 午後に小田原に運び土日いっぱい使って、月曜の朝、東京の同萱へ返しに いくという使い方をし、そのありがたさというか、必要性を知って後に自社用を買い入れた」 真空管式コンピュータは例外なく信頼性で痛い目にあった。 そのことが、のちのちコンピュータ開発に教訓として生きた。
TACが動かないことの原因のひとつに、調整手段の不備ということ があった。再スタートしたTACは、このためシンクロスコープを 入手することが第一に必要だった。 東大はこれを購入した。「村田くんが、借金を質においても シンクロスコープを買ってくれというものだからテクトロニクスの ものを無理して買った。それで、アラがわかって、TACがぐんぐんと 進むようになった。もっとも、あとで、金が足りなくなって 困ったが」と雨宮氏。 「使ってみて、びっくりした。トラホームの目が、急に晴れたような 気持ちだった」と村田氏。
1957(昭和32)年10月4日付、朝日新聞のコラム「フィルター」 に「超スローモの電子計算器」と題する記事が載った。筆者は「探針子」 とある。内容は、まず、文部省科学研究費の第1回機関研究にTACが 選ばれたこと、予定の昭和29年春に間に合わなかったのは、別段驚く にあたらぬ」としながら「由来、電子計算機にはフォンノイマンとやらの 法則があって、いつ聞かれても「完成は半年先」と答えるのが国際的 現象という」と皮肉り、「しかし、すでに6年目を迎えたいま...未完成 のまま眠っているとあっては、単に東大と東芝の恥辱にとどまらず、 まことに奇怪な物語ではないか」と書く。 そして、次のような辛辣な文章が続く。 研究に失敗はつきものである。これ以上どうにもならぬなら、いさぎよく 失敗を認めてその経過と原因を学会に報告し、今後の教訓とすべきである。 最初の目標を変更して形がつくものなら磯井で呈せ異能のものに切り替えて まとめっるべきである。3千万円ではあ最初から予算の見積もり違いだった というのなら、さらに文部省に予算を請求すべきである。 (外国では1億円かかるのに3千万円でできるのが特徴だと宣伝されていた はずだが)。そのいずれをも怠ってウヤムヤにすれば、こんご電子計算機 の研究にはいっさい、金がでなくなるばかりか「研究費が足りない」 などという学者の言葉を国民は頭から信用しなくなるに違いない。 要は学者の良心の問題と責任の所存の不明確さにある」 「探針子」とは誰か、当時はあれこれの推測があったというが、 誰であるにしろ、これはTACの事情に相当よく通じていた人で あるのは確かだろう。
TACは難航した。日本で初めての真空管コンピュータだから、簡単に できるとは誰もいえなかったわけだが、その言い訳も実は通用しなくなった。 1956(昭和31)年3月、日本初のエレクトリックコンピュータ、 FUJICが、富士写真フィルムで完成したのである。 FUJICは、たとえば真空管の数にしても、TACの7000本に対し、 1800本と少ない。メモリも、FUJICは水銀遅延線を使っている。 しかし、TACが、計算機に関する研究者の集まっている東大と、 電気電子メーカである東芝とが共同で取り組んでいたのに比べ、FUJIC は、当時、電子とは無縁のカメラメーカで、しかも、人手は手伝いの女性社員を入れても5~6人というものだった。 開発者の岡崎文次氏が基礎研究に着手してから完成するまで7年かかって いるが、ともあれ最初に完成したのはFUJICだった。
はじめまして!
返信削除nagraⅢを検索してこちらのサイトまで飛んできました、karajishiと申します。
nagraの改造日誌は圧巻でした!
そこで質問なのですが、
先日ずっと探していたnagraⅢをリサイクルショップでを発見しまして、動作確認した所、電源では起動せず単一電池で動き、リールは回るのですが音が出ませんでした。どうしても手に入れたかったので取り置きしてる状況です。
sobix7104さんの方では修理等は請け負っていたりしますでしょうか?
なかなかnagraを修理してるところが見つからず苦戦しておりまして、、、
長文大変失礼致しました。
今後とも雑用日誌楽しみにしております!